真夏のミステリ・ベストテン〜後編

江戸川乱歩「明智小五郎全集」

9.『何者』江戸川乱歩(昭和4=1929年)

 ついに戦前の作品である。
 主人公の「私」は、学生時代最後の夏休みを楽しむため、鎌倉にある友人の実家に滞在するが、そこで奇妙な強盗事件に遭遇する。

 私たちは天気さえよければ海岸で遊んだ。結城邸は由比ケ浜と片瀬との中間ぐらいのところにあったが、私たちは多くは派手(はで)な由比ケ浜をえらんだ。私たち四人のほかに、たくさん男女の友だちがあったので、海にあきることはなかった。紅白碁盤縞(ごばんじま)の大きなビーチ・パラソルの下で、私たちは志摩子さんやそのお友だちの娘さんたちと、まっ黒な肩を並べてキャッキャッと笑い興じた。(本文より)

由比ケ浜

 これは私がコレクションしてる絵葉書の中の一枚。正確な発行年は分からないが、水着の型などから推測して、ちょうどこの小説のころじゃないかと思う。偶然だが場所も同じ由比ケ浜。まだ平和な昭和ひとケタの夏、モボとモガが戯れる真夏の海岸。暑さ指数としては30%ぐらいか。

 乱歩作品としては、エログロ怪奇幻想の味付けがない、直球の本格ミステリで貴重な作品。犯人のちょっと意外な犯行動機も面白い。

[猛暑度=30%]


横溝正史「八つ墓村」

10.『八つ墓村』横溝正史(昭和26=1951年)

 いよいよ大トリ。京極夏彦の『姑獲鳥の夏』が登場するまでは、夏ミステリの王者として君臨していたのではないかと思われるのがこの作品。横溝正史『八つ墓村』

 横溝正史には、原作よりも映像作品のイメージが強い作品がいくつかある。たとえば『獄門島』は市川崑監督の77年版では夏だが、原作は秋。同じく76年版の『犬神家の一族』は夏のイメージだが、原作では冬で、金田一耕助がスキーをするシーンまである。逆に『悪魔の手毬唄』は、77年版の映画では冬だが、原作は夏。

 では『八つ墓村』は? 77年の野村芳太郎版(金田一耕助役が渥美清)は、団扇、蝉の声、蚊取り線香… と「正しい日本の夏」のアイテムがてんこ盛りの映画だったが、原作では、

 六月二十五日——われわれが八つ墓村へ出発する日は、雨催(あめもよ)いのうっとうしい梅雨空で、そうでなくてもこんどの旅立ちに、気後(きおく)れみたいなものを感じている私を、いっそう重苦しく圧迫した。(本文より)

 とあり、ここから数週間にわたる事件であるから、まさに夏真っ盛りのころである。


 せっかくの機会なので、ここでちょっと語ってしまおう。

 この77年の渥美清版の映画、一部の原作ファンには評判悪いんですよね。「ミステリ小説をホラーにしてしまった」というのがその理由。だけど、うーん。そうだろうか? まったく未解決のまま投げ出したわけではなく、怪談で始まった物語をいったん合理的に解決して、ラストでもう一度ひっくり返して余韻を残す… これはカーの『火刑法廷』などと同じで、ホラー系ミステリではよくある手法だと思うのだが。

 確かにこの渥美清版には、原作の重要アイテムである、ある人物が書いた「殺人計画書」が存在しない。それによって、「殺人の◯◯化」という原作のテーマもうやむやになってしまっている。
 これ以降に制作された古谷一行版、片岡鶴太郎版、豊川悦司版、稲垣吾郎版、吉岡秀隆版には、この「殺人の◯◯化」というテーマをもう少し丁寧に描いたバージョンもあるけれど、ではそれを忠実に描くことが面白さに貢献しているかというと、そうでもない気がするんですよね。

 想像してみて欲しい。たとえば『獄門島』『犬神家の一族』をゲーム化したら、それは推理ゲームになると思う。では『八つ墓村』をゲーム化したら? それはアドベンチャーゲームになると思うんですね。主人公の辰弥が村を訪れ、多治見家の大邸宅に足を踏み入れ、村の人々と出会い、殺人事件に巻き込まれ、父親の過去を知り、村の地下にある鍾乳洞を発見する… これはもう、まるっきりアドベンチャーゲームのストーリー。途中で選択肢を作って、エンディングも数種類用意したいところだ。

 そもそも横溝正史の有名長編の中では、『八つ墓村』だけが金田一耕助が主人公ではなく、寺田辰弥の一人称視点で描かれている。つまり原作からして謎解きよりも、辰弥の体験にスポットが当てられているのだ。ならば力を入れるべきは謎解きに尺を割くことではなく、探検の舞台となる多治見家の大邸宅や、鍾乳洞を再現すること。さらにクライマックスでは「鍾乳洞で犯人と追っかけっこ」というサービスカットまで見せてくれる。こんな映像化は渥美清版だけだ!


巡査「あのう… 動機や方法はよう分かりましたが、物証… つまり、それらを裏付ける証拠みたいなものは…?」
金田一「この事件はね、そんなことより… 何ていうかな、犯人の◯◯◯すら全然知らない、実に不思議な事実があるんですよ」(野村芳太郎監督版・映画『八つ墓村』より)

 そうは言っても、この会話はないよね(笑)。さすがに「物証はどうでもいい」はアカンでしょ。このやり取りが「ミステリではなくホラーにしてしまった」という批判の原因になっていると思えるだけに、もう少しうまく誤魔化せなかったもんでしょうか(笑)。

 多分これは、原作のロジック面に興味が持てなかった野村芳太郎監督と、原作の持つ性質とがたまたま一致した怪我の功名。そんな監督だったからこそ謎解きも登場人物も単純化して、アドベンチャー要素に全振りすることができた。そしてこれ以降の映像化は、すでにアドベンチャー全振りの先行作品があるだけに、そこに謎解き要素をどこまで盛り込むか、そのさじ加減に苦労しているように思えるのです。

 すっかり映画の話がメインになってしまったが、原作も鉄板の面白さ。読み返してみると記憶よりも鍾乳洞内部のシーンが多く、暑苦しい感じはしないのだが、登場する面々が濃いので体感温度は高そうだ。不快指数は80%というところか。

[猛暑度=80%]


  では最後に、ベストテンのまとめを。

ソロモンの偽証 宮部みゆき(平成24=2012年)
夜市 恒川光太郎(平成17=2005年)
クライマーズ・ハイ 横山秀夫(平成15=2003年)
屍鬼 小野不由美(平成10=1998年)
不夜城 馳星周(平成8=1996年)
姑獲鳥の夏 京極夏彦(平成6=1994年)
匣の中の失楽 竹本健治(昭和53=1978年)
悪夢の骨牌 中井英夫(昭和48=1973年)
八つ墓村 横溝正史(昭和26=1951年)
何者 江戸川乱歩(昭和4=1929年)

 うん、われながら「おぢさんセレクト」だな(笑)。でも、若い人が選ぶ夏ベストによく入ってくる『十角館の殺人』(昭和62=1987年)や『すべてがFになる』(平成8=1996年)も、年代的にはほぼ同じなんですよね。やはりこの時期(80年代後半〜90年代)が、日本ミステリの豊作期なのかなぁ…



コメントを残す

*