『悪魔の手毬唄』(1961年〜高倉健主演)

悪魔の手毬唄〜1961年

 高倉健さんが主演の『悪魔の手毬唄』(1961年)。
 そんな映画があることは知っていた。
 金田一耕助が洋装で、スポーツカーで現場に駆けつけ、さらに女性秘書まで登場することも聞いてはいた。

 もう観る前から地雷臭が漂ってる気はしますが、昨年の秋にケーブルTVで放送された際の録画を、正月休みにやっと観ることができました。
 ここまで原作とかけ離れた内容だったとは… ビックリです(笑)。


 まずこの映画には、原作の由良泰子、仁礼文子が登場しない。
 大空ゆかりにあたる流行歌手は、和泉須磨子と改名され、仁礼家の長女(!)という設定に変わっている。
 青地里子は仁礼家の次女であり、須磨子の妹である。

悪魔の手毬唄〜1961年

 ▲写真左手が仁礼里子役の太地喜和子。16年後の市川崑監督『獄門島』では、分鬼頭のおかみ役で貫禄のある演技を見せていましたね(笑)。
 右は里子を心配して村にやって来た大学の同級生の遠藤という、原作にないキャラ。金田一耕助の押しかけ助手のようなポジションかも。

 映画は冒頭で流行歌手・仁礼須磨子が殺された後、第二の犠牲者として、仁礼家の長男であり、須磨子の弟である源一郎が毒殺される(!)。さらに第三のターゲットとして、仁礼家の末娘である里子が狙われる。

悪魔の手毬唄〜1961年

 犠牲者の中に男がいる時点で、これは本当に『悪魔の手毬唄』なのか? と疑問を抱いてしまうが、そんなのは序の口で、原作の犯人が最後まで登場しなかったりする(笑)。
 しかし、この映画で一番問題なのはそんな部分ではなく…

 童謡殺人という要素がまったく欠落していること(笑)。

 仁礼須磨子が「私の出身地の村に伝わる手毬唄を歌います」とTVで披露するシーンはあるのだが、手毬唄要素ってほとんどそれだけなんだよね。
 もう別の原作でええやん(笑)。

悪魔の手毬唄〜1961年

 そして大事な要素は欠落しているのに、原作にない人物は登場する。
 上は、上記の大学生・遠藤が村を訪れたときから、時々現れては「よそ者が来ると、タタリがあるぞ!」とわめき散らすおばさん。え? 原作間違えてませんか、『八つ墓村』だよね、それ? とツッコミたくなるが、出てくるものは仕方がない。


 まあ、こんなものを見せられると、76年の市川崑監督『犬神家の一族』が、どれほど画期的な作品であったのかよく分かります。『犬神家』が出現する前のミステリ映画って、原作は謎解きミステリであっても、ホラーかスリラー(サスペンス)に作り変えられちゃうんですよね。これが松本清張あたりの原作なら、人間ドラマに全振りできるので、映画としてはさほど破綻してなかったりするのだけど…
 むしろ乱歩の通俗長編のほうが、この時代とは相性が良かったのかもしれない。実際、55年の新東宝『一寸法師』などは、スリラー寄りの作りではあるけれど悪くない出来でした。

 健さんにとってはきっと「忘れていた」、むしろ「忘れてほしい」作品を蒸し返してしまって誠に申し訳ありません(笑)。この『悪魔の手毬唄』、新しい金田一耕助のシリーズが始まると、必ず映像化される人気作だけど、何をやっても77年の市川版『悪魔の手毬唄』を超えるのは難しい。そろそろ別の作品を発掘して欲しいって気はします。



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