『ぼぎわんが、来る』澤村伊智

 ぼぎわんが、来る

がんこヽヽヽいうて覚えてるか秀樹」
 祖母から不意に話を振られて、私はすぐに言葉の意味を探った。
 がんこ⎯⎯そうだ、まだ幼い頃、なかなか寝なかったり、親の言いつけを守らなかったりすると、祖母が私を叱りつけることがあった。その際に口にしていた言葉だ。(「ぼぎわんが、来る」より抜粋)

 子供がいたずらをした時、親の言うことを聞かないとき、「お化けが来るぞ!」と言って脅かす風習はどこの土地にもあるらしい。この小説のタイトルである「ぼぎわん」もそのお化けの一種。関西では「がんこ」、北陸では「ももんが」などとも言うらしい。

 私の田舎(高知)では、それを「マモウカ」と言った。
 子供の頃、夜遅くまで遊んでいると、よく祖母から「マモウカが来るぞ」と脅された。

 …ところが、大人になってから姉と話すと、姉はこの「マモウカ」という言葉を聞いたことがないと言う。
 そんなはずはない。私の家は両親が働いていたので、保育園や小学校が終わると、親が迎えにくるまで祖父母の家で過ごすのが普通だった。姉も私と同じくらい、祖母と話す機会はあったはずだ。

「まもう(魔物)が来るぞ」って言われたのを、聞き違えたんじゃないの? と姉は言う。
 それもしっくりこない。

 そもそも私の地方の方言は、「が」という助詞をあまり使わない。かわりに「ん」という音が使われる。標準語では「雨が降っている」となる文章が、私の田舎では「雨ん降りよう」「雨ん降りゆう」となる。
 上に「マモウカが来るぞ」と書いたのは意味を分かりやすくするためで、方言を正確に再現すると「マモウカん来る」となる。祖母が言っていたのが「まもう」であった場合、それは「マモウん来る」となる。「マモウカ」とはならない。
 本人に尋ねてみようにも、祖母はもう亡くなっていた。

 私の記憶にははっきり残っているものを、姉が覚えていないというのはちょっと薄気味悪かったが、しばらくするとそんなことも忘れていた。
 それを思い出したのは、父が亡くなって数年経って、蔵書を整理していた時である。
 蔵書の中に『高知県方言辞典』(高知市文化振興事業団・昭和六十年発行)という辞書があり、そのマ行の項目を眺めていたところ、

まもーか[幼]おばけ。こわいもの。

 とあった。
 ああ、マモウカという言葉はちゃんと実在したんだと思った。
 それにしても姉が覚えていないというのは… つまり、女の子だった姉は、私ほど「マモウカん来るぞ!」と脅されるようなことをしなかった、ということだろうか。

 ちなみに、↓このページなどを見ると、
 https://www.weblio.jp/content/%E3%81%8B%E3%82%82%E3%81%8B
 いわゆる「お化け」を表す言葉は、「噛む」という言葉が語源になっているのが定説らしく、私の田舎の場合は「噛もうか」が変化したものなのかもしれません。
 どちらかというと、関西から四国にかけて、「噛もうか」「噛もうぞ」をイメージさせる言葉が残っているのが興味深い。関西の妖怪は「噛む」ものだったんだろうか。


 さてこの『ぼぎわんが、来る』だが、2015年に第22回日本ホラー小説大賞を受賞した後、入手しにくくなっていた時期もあったと思うが、昨年末、『来る』というタイトルで、中島哲也監督によって映画化され、一気に知名度が上がった。

 第一章は、タイトルから想像される通りの民俗学ホラー。
 物語は、主人公・田原の少年時代の回想から始まる。寝たきりだった祖父と、家を訪れてきた「ぼぎわん」が、玄関の扉一枚を隔てて対峙するシーンは冒頭から凄い緊張感。
「ぼぎわん」という不気味な言葉の語源も、この章で考察される。

 第二章は、田原の妻・香奈が語り手となり、一章で起こった出来事が別の視点から語られる。一章では普通に見えた登場人物が、表面に現れていたものとはまったく違った感情で動いていたことが明らかにされ、これはもう、この章だけで「人間が怖い」ホラーが成立するレベル。むしろ、こちらをメインに、物語を再構築したほうが良かったのではないかと思ったほどだった。

 第三章は、ここまで噂だけで姿を現さなかった霊能者が現れ、ぼぎわんとの最終決戦となるわけだが、やや漫画的、もしくは映像的といえる展開を見せる。

 章によって雰囲気がまったく異なる作品で、詰め込みすぎて逆に損をしているような気もする。第一章の雰囲気のまま最後まで行って欲しかった… と思うが、その場合は良質だが、地味な作品という評価だったかもしれない。

 決してバランスのいい作品ではないけれど、「ぼぎわん」というネーミングセンスの秀逸さも含め、とにかくあちこちに「引っかかる」要素がある。ホラーのパターンが出尽くした今となっては、それはきっと大事な要素なのだろう。ホラー大賞の応募作品としては、こういう戦い方もアリだなと思った。



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