岡嶋二人の思い出〜前編

おかしな二人

 2021年11月8日、コンビ作家・岡嶋二人の片割れであった徳山諄一氏が亡くなった。

 私は日本で一番好きな作家と言われたら迷わず江戸川乱歩だが、乱歩は私が生まれたときにはすでに故人だった作家。同時代の作家で一番好きだったのは、この岡嶋二人だと思う。

 ちょっと前までは岡嶋二人の代表作なんて、ミステリファンはみんな読んでるでしょ? と思っていたが、最近は平成生まれのミステリファンも増えたこともあり、作品の紹介もかねて、岡嶋二人作品についての思い出をこの機会に書いておこうと思う。


 岡嶋二人のベスト5と言われたら、私は以下の作品を選ぶ。

『焦茶色のパステル』
『あした天気にしておくれ』
『そして扉が閉ざされた』
『99%の誘拐』
『クラインの壺』

 ファンからみれば、定番の作品が並んだなと思われそうだ。
 ただ、このベスト5に日本推理作家協会賞受賞『チョコレートゲーム』が入っていないところが、この作家の恐ろしいところである。
 あまり言われない作品の中から次点を選ぶと、私は『眠れぬ夜の殺人』かな。


焦茶色のパステル

『焦茶色のパステル』(1982年)
 1982(昭和57)年の江戸川乱歩賞受賞作にして、著者のデビュー作。
 私はいま、コロナさえなければ毎年ダービーと有馬記念は必ず現地観戦するほどの競馬ファンだが、その遠因となった作品。

 それまでに読んだ競馬ミステリが「競馬場で事件が起こる」という程度だったのが、こちらは事件の舞台から動機に至るまで、すべてサラブレッド生産に関わるモチーフで埋めつくされている。その徹底っぷりが新鮮だった。80年の乱歩賞受賞作『猿丸幻視行』や83年の『写楽殺人事件』と並んで、専門ミステリという分野を開拓した作品のひとつだったと思う。

 この作品に登場し、事件の鍵となる二冠馬=ダイニリュウホウは、皐月賞と菊花賞を勝ち、ダービーは故障で出走できなかった名馬。私はこの馬のモデルはミホシンザンではないかと思っていた。だが違った。『焦茶色のパステル』の発刊は82年。いっぽう、ミホシンザンは85年のクラシック二冠馬である。

 この頃、88年にフジテレビ製作・杉田成道監督作品の映画『優駿 ORACIÓN』が公開されている。この映画も私はオグリキャップの有馬記念の後だったと勘違いしていたのだが、実際は逆だった。
『優駿 ORACIÓN』のダービーシーンが、メリーナイスのダービーを撮影したものであることは有名だが、時系列的にはこのようになる。

 82年 宮本輝『優駿』雑誌連載スタート
    岡嶋二人『焦茶色のパステル』刊行
 83年 岡嶋二人『あした天気にしておくれ』刊行
    ミスターシービー三冠
 84年 シンボリルドルフ三冠
 85年 ミホシンザン二冠
 86年 宮本輝『優駿』刊行
 87年 メリーナイス ダービー勝利
 88年 映画『優駿 ORACIÓN』公開
 90年 アイネスフウジン ダービー勝利(ダービー入場者数レコード)
    オグリキャップ 有馬記念ラストラン
 91年 ゲーム『ダービースタリオン』発売
 94年 ナリタブライアン三冠
 96年 有馬記念の売上875億円を記録(売上レコード)

 ひとつひとつはバラバラだった流れが少しずつ重なりあって、90年代半ばの競馬ブームの頂点に向かっていったようで、いま見るとちょっと面白い。
 ちなみに『焦茶色のパステル』で種をまかれた私の競馬に対する興味が、一気に開花するのはダビスタからである。


あした天気にしておくれ

『あした天気にしておくれ』(1983年)
 81年の江戸川乱歩賞で最終候補に残った作品。『焦茶色のパステル』の翌年に刊行された。
『パステル』と同じ競馬ミステリーだが、はっきり言って受賞作品より上である。

 私がこれを初めて読んだのは大学一年生の冬。
 明日から期末試験が始まる日だった。
 学校帰りに試験が終わったら読む本を物色していたとき、目についたのがこの『あした天気にしておくれ』

「これ『焦茶色のパステル』の前年に乱歩賞の候補になってたやつじゃ? 『パステル』が面白かったし、読んでみようかな…」

 と買って帰り、テスト勉強を始める前にプロローグだけでもと読み始めた。
 …無理だった。
 もう冒頭の、三億円の仔馬=セシアの骨折事件から、一瞬も気が抜けないサスペンスフルな展開!

「プロローグだけ? そんなん絶対無理やろ! 明日のテスト勉強? 単位? クソどうでもええわそんなもん!! この小説を途中でやめろいうんか? 無理やろうが!!!!」

 もうヤケクソで最後まで一晩で一気読みした。
 テストの結果がどうだったか。今ではそれすら覚えていない。

 岡嶋二人というのは、わりと珍しい「プロットに凝る作家」だと思っている。
 どちらかというと簡潔な文体で、美文にこだわるタイプではないし、新本格系のような荒唐無稽なトリックを使うタイプでもない。岡嶋二人がこだわるのは、思いついたトリックやアイデアを「どう見せるのが最も効果的であるか」だ。

 実質的処女作であるこの作品から、もうその姿勢ははっきりしていた。三億円の仔馬=セシアの骨折事件。それを隠蔽しようとする牧場の人々。この人間模様は倒叙ものとして描いたほうが面白い。いっぽうで、クライマックスの身代金受け渡しトリックは、謎解きのかたちで提示したほうが面白い。果たしてこの作品は、倒叙で描くのが正しいのか、それとも通常のミステリのように犯人を隠すべきなのか? 悩みに悩んだあげくの作者の結論が素晴らしい。

 コンビ作家であり、常に二人で討論しながら創作していたからこその長所だろう。この「プロットにこだわる姿勢」がその後も岡嶋二人の最大の特徴であり、武器でもあった。


そして扉が閉ざされた

『そして扉が閉ざされた』(1987年)
 いわゆる「12人の怒れる男」のバリエーションである。
 要は事件の関係者を一室に集めて、そこで事件の討論をさせるわけだが、これを不自然なくやるのが意外に難しい。これまで様々な作家が知恵を絞って、いかにしてそのシチュエーションを創り上げるかを競ってきた分野なので、「もしも日本に陪審員制度があったら」のif設定であっさりやってしまうのは個人的にはあまり好きではない。2007年の映画『キサラギ』などは、成功例のひとつだと思う。自殺したアイドルの一周忌に集まった5人のファンという設定で、この条件をクリアしてみせた。

 この『そして扉が閉ざされた』は、その少人数パターン。男女4人で物語は進行する。
 富豪の一人娘・咲子は、ある夏、車の転落事故で死亡する。咲子の母は娘の事故死を信じず、一緒に別荘にいた4人男女の中に犯人がいると思い込み、4人に薬を盛って地下の核シェルターに監禁し、事件についての本音を聞き出そうとする…

 回想シーンを除くと、物語のほとんどは地下の核シェルターで進行する。登場人物は容疑者の男女4人と、被害者の咲子、その母親でたったの6人。映画や単発のスペシャルドラマの原作としては最適だと思うのだが、私の知るかぎりではなぜか一度も映像化されたことがない。

 そもそも東野圭吾でさえ、91年刊行の『変身』が映画化されたのが2005年なので、当時の東野圭吾と同程度だった岡嶋作品の知名度はそんなものだったかもしれない。それにしても惜しい。演出がよほどのヘマをしなければ、これは誰が撮っても面白くなる原作。うまくいけばミステリ映画の傑作として名を残すことができただろうに。

 ちなみに上記ベスト5で映像化されたことがあるのは『焦茶色のパステル』『99%の誘拐』『クラインの壺』の3作品。私が見たことがあるのは『99%の誘拐』のみである。これについては後述。



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