『これはミステリではない』竹本健治 &『そこに無い家に呼ばれる』三津田信三

 ただいま夏休みの真っ最中です。
 とはいえ、史上初の帰省も、旅行も、登山もできない夏休みに戸惑っています。
 こうなったら、この機会に読めるものは読んでおかないとね。

これはミステリではない

『これはミステリではない』竹本健治
 これが新人の作品ならば「ミステリというものがよく分かっていない」と言われそうだ。しかし作者が竹本健治ならルールが分かっていないはずはなく、「これはミステリではない」という評価になる… ま、ズルいっちゃズルいんだけど。
 これが『匣の中の失楽』『ウロボロスの偽書』なら、物語の形式からして当たり前の結末には着地しそうにないし、できるはずもない。一方、この『これはミステリではない』は、形式だけならオーソドックスな本格物なので、たとえば物語の中で公開される作中作の結末をそのままこの作品の結末としてしまえば、『汎虚学研究会』シリーズの初長編としてはそれなりに評価された気がする。なのにこの作者はそれをしない(笑)。

 これは何なんでしょうね。竹本氏の小説を読んでいると、ジャンルとしてはむしろホラーやSFに分類される『狂い壁、狂い窓』『腐蝕の惑星』のほうが、ミステリに近い気がすることがある。これらは読んでいる最中には混沌とした印象を受けるけれど、ラストで伏線を一点にまとめる段階になると、ミステリ作品よりも理路整然としてるんですよね。
 つまりは「ミステリを書く」ということに対して生真面目すぎるのかなぁ? ありきたりな結末には着地しないことにこだわり過ぎているのか… まあ、もともと竹本氏のファンはこのズラして来るところが好きなわけだから、この作品も許してしまうわけですが(笑)、「これまで僕が書いてきたなかでも最大級に歪(いびつ)」という作者の言葉は、決して嘘ではなかったです。


そこに無い家に呼ばれる

『そこに無い家に呼ばれる』三津田信三
(※部分的にネタバレしている箇所がありますので、未読の方はご注意ください)。
『どこの家にも怖いものはいる』『わざと忌み家を建てて棲む』に続くシリーズの第三作。
 私は三年前の『わざと忌み家を建てて棲む』の感想で「ただ長編としては、余韻を残した終わり方というよりは、あー続編があるんだろうなという気がします」と書いてしまいましたが、その予想は見事ハズしてしまったようです。続編があったのは確かでしたが、『わざと忌み家…』の再検証のような作品ではありませんでした。

 さて今回の『そこに無い家に呼ばれる』ですが、ホラーとしては安定感のある面白さ。ただし、幕間の小ネタも含め、エピソードを詰め込めるだけ詰め込んだ前二作に比べると、ちょっとボリューム不足の感はあります。今作で明かされたところによると、このシリーズは五部作の予定らしいので、第三作に当たるこれは、後半への橋渡し的な作品なのかもしれません。

 そんな風に感じた理由として…

 うーん、どうして自分はこのシリーズを読むと、変に細かい部分が気になってしまうのかな(笑)。たぶん「書かれた時期が不明な手記」なんてものが出てくると、叙述トリックを警戒して身構えてしまうからですよね。

 実は今回も、未回収のまま終わった伏線があることが気になっています。


 この長編には「1.新社会人の報告」「2.自分宛の私信」「3.精神科医の記録」という三つの手記が掲載されていて、時系列順に並べると、「1.新社会人の報告」「3.精神科医の記録」「2.自分宛の私信」という順序になり、1と2の間には十数年の時が流れていると推測されます。
 気になるのは「2.自分宛の私信」のラストにあるこの描写。

 地震によりIの住宅地では五分の一もの家屋が全壊したと、たった今ニュースで知る。(P215より)

 この地震がいつ、どこで起こった地震なのか、結局分からないままに終わる。
 なんとなく時期的には阪神大震災が近い気がするが、そのわりには手記の登場人物は誰も関西弁をしゃべっていない。


 また、「1.新社会人の報告」が「2.自分宛の私信」の地震の数十年前の話だとすると、「1.新社会人の報告」にあるこの描写、

 その日は金曜で、翌日の土曜が月に一度の休日でした。あとの土曜は半ドンだったのですが、午前中で帰れることは、滅多にありませんでした。(P65より)

 この部分は、手記の年代の判定に使えそうな描写だったにもかかわらず、スルーされてしまったことも気になる。

 まあ、週休二日制の件は考え過ぎとしても、上記の「地震」がいつどこで起こった地震なのか、不明のままなのは不自然な気がします。全部まとめて五部作のラストで回収してくれたら嬉しいのですが…

 やっぱり深読みのしすぎですかねぇ…?



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