『かがみの孤城』辻村深月など

 いや〜今年は外れました、谷中一箱古本市
 谷中古本市は抽選ではなく先着順なので、単に私の申し込みのメールが遅れただけなんですけどね…
 今年は店を出さないというのも寂しいので、秋頃に、前に参加したことのある鬼子母神のみちくさ市に出店することも考えております。物好きなお客さんがもしいらっしゃいましたら、ご来店をお待ちしております。

 報告ついでに今回は、昨年の年末に話題になった二作品の感想を…
(※若干のネタバレがありますので、未読の方はご注意ください)。


かがみの孤城

『かがみの孤城』辻村深月
「不登校は“逃げた”ではなく“休む勇気”を持った子たちだと思っていました。私にはその勇気はなかった」
(4/11配信・Yahoo!ニュース特集より)

 作者のこの言葉を聞いたとき、ああ、こんな言葉を正直に言える人は信用できると思った。

「グレたり荒れたりする子供は、勇気があるのではなく、勇気がないから」。80年代によく使われた論法である。そういうことにしておけば、親や教師は都合が良かったのだろうけれど、私はこれが大嫌いだった。ある意味、毒親を許してしまう言葉だと思う。本当は学校を休みたいのに、本当は荒れたいのに、自分でそれを押さえつけてしまう子供は、親に怒鳴られる、殴られるのが怖くて我慢していることもあるのだ。
 セクハラやストーカーという行為が、名前が付けられることによって顕在化したように、毒親という言葉も、この言葉が生まれるまでに沢山の(自覚のない)被害者を出していたと思う。

 作品のほうは、いじめという重くなりそうなテーマを扱いながら、堂々たるエンターテイメント。ジャンル的にはSFもしくはファンタジーに分類される作品ですが、「この現象は誰の意志なのか」「城の管理人(=オオカミさま)の正体は誰なのか」「水道は使えないのに電気だけは通っているのはなぜか」など、途中で読者が感じる疑問点はしっかり回収しており、そこはさすがミステリ作家と思わせる手腕でした。

 問題はメインのあの部分ですが… 読者のほうは比較的早めに気づいてしまうわりに、万人が納得する説明が難しいトリックという気がします。使ってみたい気持ちはわかるけれど、あまり使わないほうがいいトリックなのかもしれません。

 何よりこの作品は、あの仕掛けがなくても十分面白いですよ。


屍人荘の殺人

『屍人荘の殺人』今村昌弘
 SFと本格ミステリの融合。「○○設定ありきのミステリ」というアレです。
 SF設定のユルさ(もしくは重厚感のなさ)が最大の弱点のような気がしました。この設定を補完しつつ最大限に生かすには、もっとコメディ要素を取り入れて、弱い部分をすべてお笑いに変換する手法もあったのでは? 映画で言えば、イギリス映画の『ショーン・オブ・ザ・デッド』みたいに。

 探偵役らしき人物が序盤で二人登場しますが、個人的にはもう一人のほうに活躍して欲しかったかも。あの人が先走った推理を展開する横で、主人公がその推理を軌道修正する、そんな凸凹コンビも面白かったと思うのですが…



コメントを残す

*