『どこの家にも怖いものはいる』&『わざと忌み家を建てて棲む』三津田信三

 怪談シーズン真っ最中です。
『営繕かるかや怪異譚』の感想にも書きましたが、最近のネット怪談は設定を作り込みすぎるため、冒頭から創作臭が濃厚で、もはや小説の世界に足を踏み込んでる気がします。本来、ネット怪談は「ベットの下に斧を持った男がいた」などの一発ネタや、「きさらぎ駅」の投げっぱなしオチのような、小説ではできないネタを披露するためのスキマ産業だったと思うのですが…

 もともと怪談はネタより語り口。同じ事象でも文体によって受ける印象はまったく違う。同じ創作ならばプロの作家のほうが手慣れているのは当然で、いまこの分野で信頼できる作家というと、私は加門七海三津田信三になります。
 その三津田信三の新作『わざと忌み家を建てて棲む』を昨日読み終えました。2014年の『どこの家にも怖いものはいる』の続編に当たる作品なので、感想は一作目から書いたほうがいいでしょうね。

どこの家にも怖いものはいる

(※以下の文章は、明確なネタバレはしていませんが、未読の方はご注意ください)。
『どこの家にも怖いものはいる』は、作者(=三津田信三)自身が主人公のセミ・ドキュメンタリー形式。三間坂秋蔵という、大学を出たばかりの編集者との出会いから物語が始まる。この三間坂秋蔵という青年、本人が無類のホラー好きであるのみならず、その祖父は全国から心霊現象の資料をかき集め、蔵に収集しているというツワモノ。ある日三間坂は、主人公に一冊の日記を見せる。その日記と祖父の蔵から発掘された記録が、妙に似通っている気がするというのだが…

 この趣向に関しては、私はあまり成功しているとは思えませんでした。ここに収められている五つの怪談「主婦の日記」「怪異を経験した少年の記録」「ネットに投稿された大学生の体験」「出版社に投稿されたノンフィクション原稿」「ある老人の自費出版本」……これらが「まったく別の話なのに、どこか妙に似ている気がして仕方ない」と何度も繰り返されるわりには、小説の主人公たちが感じた薄気味悪さが読者に伝わりにくい。五つの物語の共通点を探すのが、この作品のサブテーマなわけだが、情報を小出しにしすぎて共通項が見えにくくなったことが原因かもしれない。

 最後に現れる共通点にしても、ある有名なホラー小説と同一のネタなのであまり新鮮味はない(この共通点に作者が気付いていないとは思えないので、パクリというよりは、◯◯のトリビュート作品だと思っています)。え? 褒めてないじゃないかと言われそうですが、いやいや、そんなことはありません! この五編の怪談、どれも個々の怪談作品としてとてもレベルが高いのです。

 個人的に好きなのは二作目と三作目。二作目の「少年の記録」は昭和の初期ごろと思われる田舎の村で、村の伝説に伝わる「割れ女」という異形の存在に出会った少年の話。延々と続く悪夢のような描写に翻弄されます。三作目の「ネットに投稿された大学生の体験」は、二作目とはうってかわった現代的な学生アパートが舞台。怪異と呼ぶほどではない違和感を徐々に積み重ねて、クライマックスに結びつけていく技法が見事です。

 読み終えた当初は、はて、一本の連作短編集としてまとめる必要があったのか、むしろ個々の作品をバラで発表したほうが評価されたのではないかと思ったが、時間がたつとそれは間違いだと気づく。これらの中には尻切れトンボで終わっている作品も多く、それが不安感を煽る効果を上げているものの、どちらかというとネット怪談のほうが適しているような手法。短編小説として発表したら、結末が曖昧なことに不満が生じるはず。ドキュメンタリー形式の中で発見された手記ならば成立可能なわけで、この辺のさじ加減がプロの作家はやはり上手いです。

わざと忌み家を建てて棲む

(※繰り返しになりますが、以下の文章には一部ネタバレがありますので、未読の方はご注意ください)。
『わざと忌み家を建てて棲む』は、同じシリーズの二作目。前作と同じ作家と、編集者の三間坂が登場します。

 今度の相手は、事件や火事で人死にのあった建物をそのまま移築し、強引につなぎ合わせて作られた烏合邸(うごうてい)と呼ばれる建物。施工主である八真嶺(やまみね)という好事家は、ここに人を住まわせて、何が起こるかの実験を試みる。「黒い部屋」「白い屋敷」「赤い医院」「青い邸宅」。それぞれの家に関わった人々の四つの手記が、前作と同じ連作短編集の手法で収められていますが、この屋敷が建てられた真の目的は何なのか、単なる好事家の好奇心なのか、この建物はどこにあったのか、これらの手記はいつ頃書かれたのか… いくつかの謎は謎のまま終わります。

 伏線を収拾しないなら、ドキュメンタリー形式を取る必要はなく、個々の短編でよいのでは? という意見もあるようです。そりゃそうでしょうね。ただ、このセミ・ドキュメンタリー形式に関しては、私は上記の理由で賛成派です。

 今回私が好きだったのは、第三話の「赤い医院」。ここに住むのではなく、潜入して実況を録音するよう命じられた女子学生の話。明確な怪異はなかなか起こらない。ひたすら、奇妙な間取りを持った建物のレポートが続く。これが独立した短編として発表されたら、前衛的かもしれませんが、評価は微妙なところ。長編の一部だからこそできること。
 また今回は、個々の手記の間に挟まれた幕間のエピソードがなかなか面白い。「正体不明の人物につきまとわれる」「数々の障害でテープ起こしが進まない」… と、下手な作家が書いたら定番ですね、と言いたくなる事象しか起こらないにも関わらず、作者の仕込みや畳み掛けが上手いせいかこれが盛り上がる。


 ただ長編としては、余韻を残した終わり方というよりは、あー続編があるんだろうなという気がします。
 私が気になったのは、これらの手記がいつ書かれたのかを、主人公たちが分析する部分。
 手記に登場する本の出版年度や、カラーテレビという語句から、
 
「昭和四十年から五十年の間とみるのが、まぁ妥当だと思う」(P165)

 と結論づけられているのだが、これが個人的には納得がいかない。
 気になるのは二番目の手記「白い屋敷」で、手記の作者である作家志望の青年が、

「何とか我慢して町まで辿り着き、ファミレスに入ってランチを食べて、漸く少し落ち着く」(P114)

 と書いていること。これ以外にもファミレスという単語が何度か出てくる。
 ファミレスの元祖といわれる、すかいらーくの1号店が国立に開店したのは1970(昭和四十五)年らしい。しかしこの手記の舞台は東京ではない。全国に普及するのにどのぐらいかかったか… という問題もあるのだが、何よりこの「ファミレス」という略称。こんな略し方は、私の記憶では平成の初めごろから始まった気がするのだが。
 なんとなく思い出したのが、中島みゆきが1984(昭和五十九)年に発表した「僕たちの将来」という曲。

 ここは24時間レストラン
 危ないことばをビールで飲み込んだら
 さっき抱き合った宿の名前でも もう一度むし返そうか(僕たちの将来)

 まあこれは歌詞なので、語呂が合わないから「ファミレス」を使わなかったとも言えるが…
 1993(平成五)年初版の貫井徳郎『慟哭』には、こんな一文がある。

「中年の女性が、先日子供たちを連れてファミリーレストランに行ったら、そこで偶然アルバイトをしている若い女性信者と出会った、という他愛もない話だった」(慟哭)

 貫井徳郎はこの後しばらくの間「ファミリーレストラン」という言葉を使い、「ファミレス」という略称は使っていない。この方が私の記憶に近い。この略称は平成の初めごろには、日常会話にはあったとしても、作家が地の文で使う言葉ではなかった気がする。

 続編があるとしたら、このへんから手記の書かれた時期が意外に新しいと判断され… という展開があるのではないかと思うのだが、さて、これは私の考えすぎなのか。どうなんでしょうね?


こわいおはなしかい

 近所の図書館にて。
 子供がいたら、参加したい(笑)。



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