『ドウエル教授の首』アレクサンドル・ベリャーエフなど

ドウエル教授の首

『ドウエル教授の首』(アレクサンドル・ベリャーエフ)
 医師のマリイ・ローランは、家族や恋人にも秘密を守る条件で、パリに住むケルン教授の助手に採用される。そこには、最近亡くなったドウエル教授の首だけが、外科手術で生かされていた…

 さて、この設定で物語を初めて、「続きを考えてみてください」と言えば、多分十人が十人とも違うストーリーを思いつくはず。久々に、この先の展開はどうなるのか、という読書経験をしました。

 実際に先を読んでみると、意外なほどの冒険活劇。日本ならば海野十三? いや、むしろ江戸川乱歩の二十面相もの? ドウエル教授の息子・アルトゥール一味の行動は、少年探偵団みたいだ。いま読むと、科学的根拠に関しては突っ込みどころ満載だし、倫理的にどうよ? と思われるシーンも多いけれど、この時代(本国では1925年発表)のミステリやSFは、いろんな制約から自由で羨ましい限りです。同じものをいま書いたら叩かれるでしょうけど(笑)。


ハリー・クバート事件

 最近、翻訳もので他に印象に残ったものというと、文庫化でまた話題になっている『ハリー・クバート事件』ジョエル・ディケール)。遅ればせながらやっと読みました。
 高名な作家であるハリー・クバートの自宅の庭から、三十三年前に行方不明になったノラという少女の白骨が発見される。ハリーの弟子である新進作家のマーカスは、恩師の疑いを晴らすために奔走するが…

「大映ドラマ」と言ったら言い過ぎだろうか(笑)。矛盾点はさておき、先へ先へと読者をグングン引っ張って行くパワーが凄い。
 作者はこれをミステリのつもりでは書いていないらしい。そうだろうなと思う。古典的な本格物と違い、張り巡らされた伏線を拾っていくタイプの話ではないので、関係者からの証言が物語を先に進める原動力になる。だから周囲の人々が、最近町にやって来たばかりの主人公(マーカス)に、簡単に秘密を話してしまうことが少し気になる。

 このマーカスという主人公、学生時代はわざと人気のあるアメフトやバスケを選ばず、層の薄いラクロス・チームでキャプテンになる。大学もハーバードやエールには進学せず、無名の大学を選ぶ。実力をつけるよりも、トップに立つことで注目を得て、世の中を渡ってきた人物。それでも嫌な人間と思わせないのは、ハリーとの師弟関係においては誠実であったことが描かれているからだろうか。この「人たらし」のテクニックを、関係者から話を聞き出すシーンで、もっと活かして欲しかった。

 どちらも緻密さよりは勢いの作品でしたが、勢いのある作品が、最近少ない気がするので楽しめました。何だかんだ言いながら、最終回まで見てしまう昔のテレビドラマ… って楽しいですよね??



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