『12人の蒐集家/ティーショップ』ゾラン・ジヴコヴィッチ

12collections

『ゾラン・ジフコヴィッチの不思議な物語』(2010年刊)から5年、私がそれを読み終えてから早3年… いやぁ、長かった。もうこの作家の作品は出ないのかと思った。

約5年ぶりのゾラン・ジヴコヴィッチの新刊(新作ではない)。とはいえ「ティーショップ」がまたも収録されているので、少々損をした気分。なぜ他の作品をセレクトしてくれなかったのかと思ったが、作者の公式サイト(http://www.zoranzivkovic.com/)を見ると、これは2005年に出版された『Twelve Collections and The Teashop』をそのまま移植したものらしい。オリジナルの体裁ならば仕方がないが、なかなか新作を読めない作家のこと、日本独自の編集で、もう一編ほど追加してもらえなかったか、と無い物ねだりをしたくなる。

本邦初訳の「12人の蒐集家」は、爪の蒐集家、写真の蒐集家、切り抜きの蒐集家など、具体的な「もの」を蒐集する人々から、日々のコレクター、夢のコレクター、希望のコレクターなど抽象的なものを集める人々まで、様々なコレクターが登場するショートショート集。紫色のインテリアで統一されたケーキ屋、紫色のネクタイ、紫色のヘルメット… 作品全体を彩る紫のイメージが、きっと大オチにつながるはず… と思っていたら、それに関しては意外にアッサリしたものだったが(笑)。

さて、同じ短編集に収められているとはいえ、この二編はずいぶん感触が違う。「ティーショップ」は、『ゾラン・ジフコヴィッチの不思議な物語』の感想でも書いたように、意表をついた展開が命であり、あらすじを話すとネタバレになってしまうタイプの物語。一方の「12人の蒐集家」は、あらすじを話しただけでは面白さが伝わらない。例をあげると「爪」だが、このラストは果たして「オチた」と言っていいのかどうか。最後の一文を読み終えても、事態は何も変わらない。これが「ティーショップ」ならば最後の一文を多少書きかえても成立するのだが、こちらは物語をどこで終わらせるか、最後の一文をどう締めくくるかでかろうじて成立しているラストである。「ティーショップ」がネタ勝負ならば、「12人の蒐集家」は技巧勝負。その意味では、「ティーショップ」「火事」「換気口」と、似た傾向の作品を集めた『ゾラン・ジフコヴィッチの不思議な物語』は、日本オリジナルの編集ながら、統一が取れていたように思う。

翻訳された二冊を読んだ限りでは、題材にしても文章にしても、アクの強さを感じさせない作家なのだが(セルビア語→英語→日本語と翻訳を二度経ていることもあるだろう)、それでも何となく惹かれてしまうのは「文章ならではの面白さ」を味あわせてくれるからだろうか。

最後に一言。「The Library」が読みたい! 邦訳の予定はないのだろうか…



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