『営繕かるかや怪異譚』小野不由美

eizen_karukaya

昨年末から気になっている本があった。友人と怪談小説の話をしていて思い出したのだが… 作者は高橋克彦。タイトルは忘れた。短編だったことは覚えている。文庫ではない。新書でもない。確かに単行本で読んだはずなのに、本棚を探しても見つからない。高橋克彦はわりと好きな作家なので、古本屋に出すわけはないんだけどなぁ…

それが先日、やっと見つかりました。単行本『私の骨』に収録されていた。タイトルは「おそれ(1992)」。温泉宿に集まった数人の男女が、自分が体験した怪異談を語るというストーリー。ここに収められている物語は、もともとは作者が「実話」として聞いたものではないかと思う。「簞笥とお祖母ちゃんの話」「戻り足の話」と書くと、ああ、あのネタかと思い出す人もいるかもしれない。しかしこの当時の怪談小説は因果応報譚が普通で、これらのような「現象だけがあって、原因が不明」という話は小説にしたくてもできなかったのではないか。そこで、温泉宿で怪談話を披露する設定を作り上げた。

調べてみるとこれより2年前の1990年に、扶桑社版の『新・耳・袋』がすでに出版されている。ただ当時は売れなかったみたいだし、私も「実話怪談集のものすごく出来のいいもの」という印象で、これが「怪異に因果は必要ない。現象だけがあればよい」というスタイルを確立する作品になるとは思っていなかった。『新耳袋』が再版され大ヒットするのは1998年になってから。92年の「おそれ」はその過渡期の作品として、いま読み返すと面白いと思う。

この「怪異に因果は必要ない」という新耳袋スタイルはネットと相性が良かったみたいで、一時期はネット怪談が面白かったんですけどね。最近のネット怪談は創作臭が強くなりすぎてちょっとね… 同じ創作ならプロの作品が読みたいと思います。


で、前置きが長くなったが小野不由美の新作短編集です。物理的にありえねーだろ、と突っ込みたくなるような派手な現象は起こらない。原因はいちおう追求されるが、説明されすぎることもない。このさじ加減が絶妙。怖さに関しては『残穢』のほうが上だろうし、探せばネットにももっと怖い話はあるだろう。だけどネット怪談には「説明」はあっても「描写」はない。こういう描写で読ませるタイプの作品を読むと、プロの書く創作怪談はやっぱり違うなぁと思わせてくれます。

「奥庭より」「雨の鈴」が好きな作品。この二作は、他の人の感想を読んでも、人気が高いみたいですね。



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