『猟奇の果』江戸川乱歩

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 最近、甥っ子が江戸川乱歩にハマリました(笑)。

 それに引きずられるように、私も久々に乱歩作品を読んでみたくなり、選んだのがよりにもよって「猟奇の果」。この光文社版の文庫に、別バージョンの結末が収録されていると聞いたからです。

「猟奇の果」は主人公の前に、友人とうり二つの顔をした男が何度も現れる、というなかなか面白い出だしで始まる物語ですが、ファンはご承知の通り、作者が結末に行き詰まり、後半からは「白蝙蝠」とタイトルも替え、明智小五郎が登場する冒険活劇に変化するという最大の珍作。

 この文庫に収められている「もう一つの結末」は後半の「白蝙蝠」をすべてなかったことにし、前半「猟奇の果」の後に二章ぶんの結末を付け加えたもの。昭和二十一年の日正書房バージョンで、乱歩自身が加筆したものらしい。

 解説の新保博久氏の感想は、「さて一般に流布している『猟奇の果』より優れているといえるかどうか」とのことだが… 私は意外と好きですね、この結末。「同じ顔の人間がもう一人出現する」という現象にもそれなりの結末はついているし。こぢんまりとまとまってしまった感は否めないが、もともと乱歩はまとまってない作品のほうが多い作家ですからね。横溝正史なら常識的なところでまとめてしまうところを、乱歩は何もそこまで… と言いたくなるような花火を打ち上げてしまう(笑)。小粒でも、珍しくまとまった作品はむしろ評価したくなります(笑)。

 あらためて思い直すと、乱歩は長編を書くと破綻するけど、中編で暴走したのは「闇に蠢く」ぐらいで、あとは「湖畔亭事件」「陰獣」「何者」「鬼」とそれなりの出来ばえ。中距離までは距離がもつ作家だったということか。

 これらの中編は「陰獣」をのぞき、乱歩は気に入ってなかったようだし、初期の短編に比べると独創性には欠けるけれど、小説に出てくる小道具… 見世物小屋や活動写真、夜汽車やら火鉢やら和服やらが、今となってはもの珍しい。どれもそれなりに楽しめる作品になっていると思います。「猟奇の果」も、前半の不思議さは申し分がないので、別バージョン版のような「許容範囲」の結末が付いていれば、意外にTV化や映画化の題材にされたんじゃないだろうか。


 初めてこの光文社文庫版を読んで、興味深かったことがもうひとつ。この文庫は昭和六年の平凡社版を底本としており、当時の伏せ字がそのまま採用されている。私の持っている全集と比べてみると…

「いつも極った隅っこの方にキチンと坐って聴いている。連れはなく独りぽっちだ。その紳士の顔なり姿なりが、…………、………………………………写真にソックリなんだ」(光文社文庫版)

「いつもきまった隅っこの方にキチンと坐って聞いている。連れはなくひとりぼっちだ。その紳士の顔なり姿なりが、天皇陛下の写真にソックリなんだ」(講談社版全集)

 これなどはなぜ伏せ字になったのか分かるが、

「床は畳だけれど、天井も四方も一様の新しい板壁で、桝をふせた様に窓も床の間も押し入れもない。その癖、部屋の真中には新しい………………」(光文社文庫版)

「床は畳だけれど、天井も四方も一様の新しい板壁で、桝をふせた様に窓も床の間も押し入れもない。その癖、部屋のまん中には新しい蒲団が敷いてある」(講談社版全集)

「青木は云われるままに上げ蓋を元通りに直して置いて、…………の座蒲団に坐った。…………ばかりである」(光文社文庫版)

「青木はいわれるままに上げ蓋を元通りに直しておいて、派手な蒲団の枕もとの座蒲団に坐った」(講談社版全集)

 ええと… これって「蒲団」がダメだったんでしょうか。この調子だと「陰獣」などどうなってしまうのか(笑)。読んでみようかという興味が沸いてきました。



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