『時計の中の骸骨』J・D・カーなど

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『死の時計』(1935・フェル博士)
う、うーん。これは正直、厳しかったなぁ…

ロンドンにある、時計職人の邸宅が舞台。いつもならこんな家に住んでいるのは「血塗られた歴史を持つ一族」だったりするが、何人もの下宿人が同居している家、という設定は面白い。おしゃべりな老婦人、女弁護士、屋根の上で逢い引きをする男女… 下宿人のキャラは立っているのに、それがストーリーに貢献しない。

そもそも、お得意の怪奇趣味も、不可能興味も、密室もないこの事件の解決編がどうしてあんなに分かりにくいのか(笑)。邸宅の見取り図がないせいもあって、人物の動線がまったく意味不明。…なんて書くと逆に読んでみたくなる人もいるかもしれませんが、正直言ってお薦めしません。バカミス的な面白さにも、ちょっと欠ける作品なんですよね…

『時計の中の骸骨』(1949・HM卿)
以前からタイトルは魅力的だと思っていました。「時計の中の骸骨」とは何の象徴なんだろうと。いざ入手してカバーのあらすじを見ると「妙な動機から、振り子の替りに医学用の骸骨の入った大時計をせり落としてしまったH・M卿は…」って、そのまんまやんけ!

オークション会場で、HM卿とこの大時計を争ったのが、ソフィア・ブレイルという伯爵未亡人。これがHM卿を相手に回して一歩も引かないクソババ… ではなく、女丈夫。このHM卿vsソフィア夫人の対決がこの作品のメイン。いや、他の要素もあるんですよ。誰も犯人を目撃していない過去の事件とか、「魔女の隠れ家」のような廃墟となった元刑務所で起きる殺人事件とか… これだけてんこ盛りなのに、なぜジジババ対決しか印象に残らないのか(笑)。

カーってオファーさえあれば、本当は映画や舞台の脚本が書きたかったんじゃないのかなぁ… と本気で思ってしまう。コメディ映画のやりとりを文章にしたら馬鹿馬鹿しく思えるのと同じで、この作品だって「コメディタッチのミステリ」というよりは「ミステリ風味のコメディ」と考えたほうが腑に落ちるのだ。

今からでも誰か映画化してくれませんかね。間違いなく大コケすることは目に見えてますが。

『眠れるスフィンクス』(1947・フェル博士)
後期クリスティーのような「過去の事件を追う」サイドと、「閉ざされた納骨堂の中で墓石が自然に動く」という、いかにもカーらしい不可能興味が交錯する異色作。世間の評価はまったく内容を覚えていないという人と、なかなかの佳作という人、ほぼまっぷたつ。

実は墓石のトリックは、わりと簡単に予想がついちゃうんですよね。これは「クリスティーもイケる」人に向いている作品なのかもしれません。私は楽しく読みました。


最後に上半期が終わったので、オススメ作品を… と思ったが、今年は意外と新作を読んでいない。期待して読んだミネット・ウォルターズの『遮断地区』が盛り上がりそうではじけない作品だったこともあり、上半期の個人的ベスト1はフェルディナント・フォン・シーラッハの『コリーニ事件』になりそうです。

あとは昨年扱いの作品ですが、小野不由美の『残穢(ざんえ)』。「新耳袋」の長編化と言ってもいい内容。地味な題材で読者を引っ張るのは見事です。ラストで怖さが少し薄れるのが残念でしたが…



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