JDカー再読~その5

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『死者はよみがえる』(1938・フェル博士)
カーはトリック一発の人と思われがちだけど、魅力的な設定を考え出すことにも才能あると思う。
この作品の冒頭、ホテルで無銭飲食しようとした青年が、宿泊客になりすましているうちに、その宿泊客の部屋で死体を見つけてしまうという出だしは見事なつかみだと思います。ただし、乱歩と同じでせっかくの魅力的な書き出しが後半に行くに従って失速しますが(笑)。

作中のあちこちで姿を現す「ホテルの制服を着た謎の男」にしても、舞台がロイヤル・スカーレット・ホテルの内部だったときは効果的ですが、後半になって舞台が田舎町に移るとなんともチグハグな感じ。結末は… 好意的に見てもアンフェアでしょ、これ(笑)。
まとまりには欠けるけれど、なんとなく引っかかる、愛すべき作品ってとこでしょうか。

『一角獣の殺人』(1935・HM卿)
「一角獣の角で刺されたような傷跡」というオカルト設定が完全に空回りした作品(笑)。
怪盗まで登場し、ジュブナイルを読んでいるような作品なので、フェル博士よりドタバタ風味の強いHM卿を起用して正解だったと思う。

『震えない男』(1940・フェル博士)
いやあ、これは、やってくれました(笑)。
幽霊が出る、と評判の屋敷で、拳銃がひとりでに宙に浮き上がり、銃弾を発射するという… どんなおバカトリックが待ち受けているのかと、ワクワクさせてくれます。結末は、驚愕と脱力の紙一重(笑)。惜しかったな、これ、作者が意識的に書いていれば、「××館の殺人」の元祖と言われたかも知れない。とてもカーらしい作品でした。

金田一少年の14巻に「墓場島殺人事件」という作品がありますが、ここで使われているトリックがほぼそのまま流用されています。もちろん、カーの小説のほうが先。パクリだとか騒ぐつもりはなく、むしろカーのこんなマイナー作まで読んでいる金田一少年の原作者は立派。

『貴婦人として死す』(1943・HM卿)
なぜか最近になって評価が上がっている作品ですが…

「被害者の足跡しか見あたらない」という足跡トリックはお見事。単純な仕掛けでさらっと解決してみせる。こういうのは複雑化しちゃいけない。
しかし作品全体が、どうも陰鬱な感じなんですよね。大戦中の1943年という執筆時期がそうさせたのか。個人的に評価している『九人と死で十人だ』はその雰囲気を緊迫感に転化しているからいいけれど、カーの作品には、もっとケレン味が欲しいと思ってしまう。探偵役のHM卿もどこか老け込んだ感じで、むしろ戦後の『わらう後家』のほうが、イキイキしてるんですよねぇ…

近年、再評価されている理由は読んで納得。ああいうトリックは最近人気高いもんね。

『魔女の隠れ家』(1933・フェル博士)
イヤハヤ、意外な傑作で驚きました。
舞台はイギリスの田舎村。現在は廃墟となっている元・チャターハム監獄。村の地主であるスタバース家は、代々この監獄の長官を務めており、スタバース家の長男は、25歳の誕生日に地所相続の儀式として、夜中に監獄に入り、長官室の金庫を開けなければならない…

もうね、この設定だけで現代の日本では置き換え不可能。いま、こんな話を書いたら「金田一少年かよw」「どこの国の話だw」と言われるのは必至。まさに1933年(昭和8年)のイギリスでなければ成立しない状況設定で、古典ミステリの存在意義はここにあるのだと言いたい。ちょっとした錯覚で読者を最後まで煙に巻くトリックも秀逸で、なぜ知名度が低いのか不思議なくらい。横溝正史からカーに入った読者には、お薦めの作品だと思う。

それにしても、いくら事件解決のためとはいえ、よくあんな古井戸に入るよな… 私なら絶対イヤだ。病気になりそ。

by kaji



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